平成に『蹴り』をつける話 平成ライダーと平成

 

※若干怪しい雰囲気とテンションの文章ですが、全ては『Over Quartzer』の威力が強過ぎたせいです。

 

 

ゼロワン一話を迎える前に平成を終える為に、平成と仮面ライダージオウの話をします。

 

主に劇場版『Over Quartzer』の話が主です。

自己解釈多め、というか自己解釈のメモくらいのノリなので注意。

 

まず仮面ライダージオウという作品の魅力の一つに、平成という現実を仮面ライダーの要素として落とし込んだことがあると思います。

ここではそこについて語ります。

 

そもそも平成と一言にいってもあまりに大きな枠組み過ぎて、いざ終わるとなっては個人として感じられるものはそう多くはありませんでした。

正月やクリスマスの大きい版みたいなイベント的雰囲気に乗っかる程度です。

 

そして昨今のオタク界隈では季節のイベントといえばソシャゲのイベントみたいな雰囲気がありますが、個人的にはそういう形の方が楽しみやすいのです。

現実だけではなく、好きなものと結びついた方がより身近に、より感情移入して感じられます。

 

なので、個人的に改元でもっとも残念なことは改元を咀嚼し、それを使いこなしたアニメやゲームなどのコンテンツがなかったことです。

コンテンツを通して、物語と現実の二つのラインで味わえれば、一世一代のイベントを最高に楽しめただろうと、とても残念でした。

 

そして、数ヶ月遅れでそれを実現してくれたのが仮面ライダージオウ、さらに言えば『Over Quartzer』なのでした。

 

仮面ライダージオウは顔に「ライダー」の文字が並び、平成!平成!と連呼する武器を持ち、最終フォームでは全身に平成ライダーの像を貼り付けるという平成とライダーの象徴的な存在です。

 

放送では、平成の時代を巡り、平成ライダーの登場人物たちの意志を再確認し、それを継承したジオウ。

それは平成ライダーという作品の振り返りでした。

 

そして、その作品の真の最終回と銘打たれたのが、劇場版『Over Quartzer』です。

 

こちらは平成という言葉を元から仮面ライダーの用語かと思う程に平成という概念に切り込みました。

この映画は平成という時代の中で仮面ライダーたちと共に歩んだことのある人間は誰でも楽しめるパーティータイム。

いわば『Over Quartzer』という映画は平成ライダーと視聴者の合同平成さよならセレモニーのようなものです。

 

平成の歴史を「醜い」と断じた敵役SOUGOによって、観客は否応なく、平成を振り返らされます。

さらにジオウの仲間だったはずのウォズが裏切り、「平成ライダーは設定や展開がバラバラで苦情が来ている」とまで言い切る。

確かに彼やウォズの言い分は正しいものです。

凸凹であることは反論は難しいでしょう。

他でもない平成ライダーの制作陣が考えた台詞なのですから。

 

けれど、それは否定されるべきものなのか?というのが、一度は主人公たるソウゴが折れかかった後の展開でした。

 

そこに現れるのはライダーの歴史にもっとも否定されるべき男、仮面ノリダー

見方によってはライダーの敵ですらあった彼をこの大舞台に上げたことからは、平成の全てを、過去の意思を欺きはしないという覚悟が感じられました。

 

そして溢れ出す平成たち。

SOUGOの言葉によって振り返らされた平成はきっと観客にとってはSOUGOの言葉通りだけではなかったでしょう。

それを証明するようなテレビ放送以外のメディアミックスから生まれたライダーたち。

テレビだけがライダーのステージではない、と。

それは視聴者たちが「ライダーたちをもっと!」と渇望したからこそあった結果です。

 

そしてその後に、平成ライダーの最終回たるこの映画で行われなければならないことが始まります。

 

それは王の退位。

 

本当の平成の終わりを再演することで、平成ライダーを終わらせる儀式のように。

未来に君臨し、平成ライダーの墓標を守り続け、後にライダーが生まれることを否定するオーマジオウという平成の王がその座を継承させることで王と共に在る元号がその役目を終えることができるのです。

 

けれど、ただの再演では終わりません。

 

仮面ライダーは人類の自由と平和を守る戦士。

 

即ち、まだ平成に倒すべき相手がいるなら、戦うのは当然。

 

勢揃いする平成ライダー、巨大化し、バリアを構えるSOUGO。

そしてバリアを貫通するタイトルロゴとなったライダーたちのキック!

その貫通した跡は

 

 

の形をしていて、平成の始まりである元号の発表まで遡り、それに「蹴り」をつける演出で平成ライダー最期の戦いに幕を下ろしたのです。

 

我々が歩んだ平成。そこでは顔を上げればライダーたちの背が見え、そしてそのライダーたちを従えるジオウ。

平成の王を継承し、平成の始まりに「蹴り」を付け、平成の終わりを証明し、新たな時代のライダーが存在するための道を拓いた。

まさにジオウの王道は平成そのもの。

仮面ライダーがいて、視聴者がいて。

共に同じ時代を駆け抜けたこその感動がそこにありました。

 

そして映画としては始まりのシーンですが、早くも新ライダーを令和の象徴にする図々しさからは令和ライダーの意気込みが感じられます。(ウォズが勝手にゼロワンを令和の象徴にして祝え!する映像は平成じゃなかったらヤバい思想家として捕まるか過激派に殴り込まれるかしてそうな)

 

9月1日、ついに平成が終わり、令和の象徴たるゼロワンの物語と共に令和の幕が上がります。

 

仮面ライダーは既に昭和と平成を駆け抜け、元号の枠に収まりきらないことを証明しました。

されどまだ為されていないことがあります。

それは元号の元年から終わりまで放送し切ることです。

 

是非、令和ライダーは令和の始まりから終わりまで、完走することを期待したいと思います。